| |
05 |
邪馬台国東遷〜そしてアスカへ |
| |
■天孫降臨〜日向三代
天孫降臨の地はなぜ日向だったのか?
天皇家の始祖がよく云われるように朝鮮半島からの渡来系民族であったのなら、九州北部沿岸あたりこそその地にふさわしいはず。しかし“卑弥呼=アマテラス”“邪馬台国=高天原”として、邪馬台国東遷の足掛りに隼人族との同盟を結んだのが神話化されたもの、と解釈すれば順序的にもぴたりと符合します。またこのあたりのエピソードはいかにも「土地神話を吸収した」感が強く、中でも海幸彦・山幸彦の兄弟の話など、南方の漁撈・採集民族の神話の影響が極めて濃いように思われます。(海幸彦=隼人族、山幸彦=邪馬台国?)
邪馬台国の後継者が隼人族と婚姻し、東遷のために協力を得たとなると、“壱与=豊玉毘売命説”と結び付けて考えても面白いと思います。しかしそうすると、豊玉毘売命は天孫族の彦火火出見尊(山幸彦)と結ばれた、海神(ワタツミノカミ)の娘であるから、卑弥呼の宗女であるはずの壱与の立場が逆転してしまう?母系性社会から父系性社会への転換を図るために、あえて神話の中では逆の立場を与えたのか…もしかして壱与は卑弥呼の宗女(一族の娘)というより、むしろ嫁と姑の関係にあったのでは?妄想はどんどん膨らんでしまいます(笑)
■日の民族と火の民族
“日”と“火”は同じく“ヒ”と発音することから、古代には両者は同一視されていたものと私は解釈しています。当時の人々は太陽神を崇め、同時にその太陽神が地に降り立った形として火(=火山)神も信仰していたのではないでしょうか。そうした太陽・火山信仰を持つ古くから日本列島に定住していた人々(縄文系)と、火山のない大陸からやって来た太陽信仰のみを持つ人々(弥生系)とが融合し、卑弥呼=日(火)巫女のカリスマ性と渡来民の先新技術でもって強大な力を持つに至った連合国家、それが邪馬台国であったと想像しています。
そして邪馬台国が九州にあったのなら、彼らの神のおわす場所は阿蘇山がもっともふさわしいと言えるでしょう。霊峰・阿蘇に卑弥呼の居住地(祭祀の中心)があり、民の集落及び政治・軍事の中心は筑紫平野にあった。しかし渡来系の人々にとって、太陽神は恵みをもたらしてくれる存在であるものの、火山神は荒ぶる神であり、破壊と災いをもたらすものとしか映らなかった。折しも起こった皆既日食(=天の岩戸隠れ)の責を負わされ卑弥呼は処刑(=卑弥呼以死)。それをきっかけに太陽・火山信仰の“火の民”と太陽信仰のみの“日の民”との間に亀裂が生じ、邪馬台国は内戦状態へ(=倭国大乱)。男王では事態は収拾されず、やはり神に通ずる力を持つ女王が必要となり、壱与を擁立(=天照大神のイメージの完成)。しかし両者の間にはすでに埋めようのない溝が生じており、邪馬台国は分裂。“日の民”を中心とした一派は火山のない土地を求めて移動を始め、阿蘇を越えて南下(=天孫降臨)し、隼人族と同盟を結び、その優れた航海技術による協力を得て東へと…(=神武東遷)。
高天原から神武即位に至るまでの『記・紀』に記された過程を史実が神話化されたものと捉え、さらに『魏志倭人伝』の記述とも照らし合わせると、私にはこうしたストーリーが浮かび上がって来るのです。
■そしてアスカへ
“邪馬台国東遷説”、すなわち邪馬台国と大和朝廷は連続したものであり、九州邪馬台国が東へ移動し大和朝廷となったとする説を裏付ける有力な証拠として、九州北部と大和地方に見られる“地名相似”があります。
九州北部では、笠置山を拠点として右回りに
笠置山→田原→山田市→上山田→鳥屋山→杷木町→浮羽町→星野→鷹取山→朝倉町→甘木市→高田→三輪町→小田→三井→池田→御笠→御笠山→笠置山
という地名が円を描いて並んでいますが、
大和地方でも、
笠置→笠置山→田原→山田→上山田→鳥見山→榛原町→音羽町→吉野→高取山→朝倉→大和→大和高田→三輪町→織田→三井→池田→三笠山→笠置
と極めて似通った地名が並んでいるのです。これは到底偶然の一致で済まされるレベルではなく、これらの地名を名付けた人々に何らかの共通点があるのは明らかであり、おそらくどちらかから移住して来た人々が新しい土地に故郷と同じ地名を付けた、と見て間違いないでしょう。
また大和地方の東南部、大和三山に囲まれ、大和朝廷黎明期の遺跡が数多く遺されている明日香村付近の一帯は“飛鳥”と呼ばれますが、この飛鳥・明日香の“アスカ”という呼び名にも、邪馬台国東遷の名残りをとどめる地名に隠された秘密があると私は考えているのです。前にも書いたように、アソ・アサマ・ウス、そしてウサなどに通じる、母音+S(AS〜orUS〜)は火山を意味する古代語。それならばこの“アスカ”も、やはり火山に由来する地名なのではないでしょうか?もちろん大和地方には火山などはありません。けれど私はこう推理します。度重なる阿蘇の噴火を嫌い、不安定な土地を捨てて火山のない土地を求めて移動した“日の民”を中心とする邪馬台国分派は、この大和地方に安住の地を見い出したものの、すでに“火の民”との混血・融合は進んでおり火山信仰の影響を色濃く残していた。そのため火山そのものは忌避しながらも、その霊力だけは欲した。そこで大和三山を火山に見立て、この辺り一帯を“火山のある土地=アスカ”と名付けることによって、火山神の加護を得ようとした…と。 |
|